子供の頃の記憶

私は今でもときどき思い出す子供の頃の出来事があります。

小学5年生になったばかりの頃、2つ下の弟が交通事故で複雑骨折し、入院することになりました。
弟は生まれた時から超がつく人見知り。
母親がそばにいないと不安を覚える子でした。

入院中、案の定、一人で眠ることが出来なかった弟は夜中大泣きをし、病院側から母の付き添いをお願いされたのです。

それからどの位の感覚で泊まっていたのか細かく覚えていませんが、母は毎晩のように弟の病院へ泊りに行かなければならず、私は父の帰ってこない家に一人で夜を過ごすことになりました。

まだ10才でした。

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私は息子が小学生になった時、この時のことを思い出しました。

弟の入院がどれくらい続いたか覚えていませんでしたが、母に聞くと、3ヶ月間というではないですかっ!

ながっ!!

そんな長期間、10才の私は一人で夜を過ごしていたなんて…

普段は2階の自分の部屋で寝ていましたが、この時はいつも母が寝ている居間隣りの部屋に布団を敷いてもらい、そこで寝ていました。

一人で2階で寝ると「お化け」が出るような気がして怖かったのだと思います。

母は父の協力を期待できない中で、どちらかの子供を一人で眠らなせなければならない。

片方は下の子、まだ母親を求める。
一方上の子は、大丈夫だという。

だったら上の子の私にその役目を託し、戸締りさえしていれば大丈夫だろうと思ったかもしれません。

その時のことを大人になって母に聞いた時、申し訳なさそうに、言いづらそうに話すので、きっと母も当時は忍びなかったのだろうと、根掘り葉掘り聞くのは止めました。

誰もいない家に一人、夜テレビを消し、部屋の灯りを消し、まだ肌寒い夜に一人布団入っていた10才の私。

どうしても淋しくなってしまい、私は外で飼っている犬と犬小屋に入り眠ろうとしたこともありました。

あまりの寒さにすぐ退散しましたが笑

一度、夜中に父親が帰ってきたことがありました。

酔っぱらっていたのか、私の枕元にきて「なっちゃーん」と声をかけてきましたが、寝たふりをした私。

そのまま居間に行くと父はレンタル中のビデオテープを見たかったらしいのですが、全然映らず、
「あれ?あれ?」
と何度も言っています。

しばらくビデオテープをからかっている父親。

私は想像で分かりました。

見終わったテープをまた見ようとしていること!
巻き戻さなきゃ見ることが出来ないことに。

『もー、うるさーい!!』
心の中でしびれを切らした私は、父の元に行き、

「巻き戻すんだよ」
とリモコンを取って巻き戻しボタンを押したのです。

眠っていたと思っていた娘がいきないり起きてきたので、まるで酔いがさめたかのように父は驚いていました。

ようやく見ることができた父は静かになり、私は眠りました。

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朝目覚めると、父はもういませんでした。
変わりにつながったワカメの入った味噌汁が作ってありました。

もしかしたらそれが私が食べた最初で最後の父の手料理かも知れません。

その父の作ったお味噌汁を火にかけ、朝ご飯を一人で食べて赤いランドセルを背負って学校へ行きました。

私が学校へ行った後、母が帰宅すると、お味噌汁の火が付きっぱなしだったそうです。

怒られるかな?と思いましたが、その時は

「味噌汁の火がつきっぱなしだったよ」
そう普段の口調で言われたことで、母が私を気遣っていることは十分に伝わりました。

『悪いなーと思ってるんだなー』

なんて子供ながらに思ったものです。

今みたいに携帯はなく、母にすぐ連絡できたわけではありません。

一度だけ、夕方いたずら電話がかかってきた時は、怖くて怖くて母のいる病院に電話して変わってもらったことがありました。
(あとでわかったのですが、いたずら電話の主はクラスの男子でした。)

私は息子が5年生になったとき、その出来事をふと思い出し、
『たった一人で眠るなんてこの子にできるだろうか、させられるだろうか…』

そう思うと
『私って、すごいわー』

10才の自分を褒めてあげたくなりました。笑

毎日母がいなかったのかは分かりませんが、3ヶ月という長い間父はほとんど家に帰らず、母は弟につきっきり。

一人家で寝支度をして、一人で眠り、朝起きても一人、朝ご飯も一人、学校へ行く時も一人。

私以外誰もいない家。

ですが、そんな人が見たらかわいそうと思うかも知れない出来事も、私にとってはまるでコントのような出来事でした。

縁側にある小さな犬小屋に私が身をかがめて入ると、愛犬は私が来たことが嬉しくてスリスリしてきたり。

その狭い犬小屋に無理矢理入ろうとするので、窮屈な空間になってしまって出れなくなってしまったり。

酔っぱらった父が帰ってきた時は必死で大きな寝息を立てて寝たふりしたり。
父が正気だったら気づかれてたかも知れません。

父が作ったお味噌汁のワカメがつながっていたのは本当に笑えました。
箸でワカメを持って食べようとするとワカメが長い長い。
どんなに上にあげてもついてくるワカメ。

今思うと、父は生ワカメを切ることを知らなかったのかもしれません。

この一人の時間、ほとんど記憶がないことは大して何とも思っていなかったのか、淋しすぎて記憶抹消なのか分かりませんが、私の人格形成にさほど影響はなさそうです。

母は私を一人にさせるのは不本意だったかも知れません。
本心は不憫に思っていたかも知れません。

でも私は淋しかったけど、苦じゃなかった。

そして母のすごいところは、私をかわいそう扱いしなかったことです。

母を冷たいと思う人もいるかも知れませんが、母は私を特別扱いするわけでもなく、いつもと変わらない、いつもと同じ母でした。

もしかわいそうな扱いをされていたら、私は自分を「かわいそうな子」だと思ってしまったかもしれません。

記憶は曖昧なのかもしれません。

私の都合のいいように作り上げたものもあるかもしれません。

でも母のお陰で私のこの記憶は

『あの頃の自分を褒めてあげたい』

思い出になっているのは確かです。

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