2年前、母の子宮頸がんが見つかりました。
それまで母は60才を超えていましたが、フルタイムで仕事に出ていたため、孫たちの顔を見るのは週末くらいでしたが、子供たちは母に懐いていましたし、母も2人しかいない孫を可愛がっていました。
病気が分かった時はすでに骨転移しており、母は抗がん剤治療に励む中で、私の意識は
『残された時間をどう過ごしていくか』
そんなことばかり考えていたように思います。
母を看ることはもちろんですが、子供たち2人に母の病気のことをどのように伝え、いずれくる別れとどう向き合っていくか、そのことも私にとっては大きな課題でもありました。
ありのままの姿を見せること
母はまだ60代。
『もしかしたら、ひ孫にもあえるかもね』
そう言って未来を想像したこともありました。
母の病気が分かった時、娘は小学校に入学したばかりでした。
今思えば、入学式の夜、入学のお祝いをいつものお決まり『カッパ寿司』でしたことが、母と私の家族で外食した最後の時間でした。
その翌週には癌が見つかり、5月から3ヶ月もの間、入院生活に入ったのです。
子供たちには母が病気になったことを話しました。
癌であることも。
病気になってからも母は、子供たちにとって、強くて優しいバァバに変わりはありませんでした。
入退院を繰り返して1年後、元々やせ型の母はもっと痩せ、骨転移している足の激痛により、一人では歩けなくなってしまいました。
ついに寝たきりになってしまったとき、母は
『孫たちを連れてくるな』
と言いました。
こんな姿は見せない方がいいと。
私は迷いました。
母の意志を尊重するべきか、子供たちにありのままの母と会わせるべきか、悩みました。
そして私が出した結論は、
会わせること
でした。
母のいる病室へ子供たちを連れて行きました。
いつもとは違う母の状態に、子供たちは神妙な顔つきで見つめます。
息子は母の手を握りました。
言葉は交わせるのですが、あまり多くを語らない母に子供たちもいつものように言葉を掛けることはありませんでした。
娘が最後に母に会ったときは、娘の食べているかき氷を少しだけ食べたいといい、口に入れてあげました。
そのかき氷は母が食べた最後のアイスでした。
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母の死を悲しむということ
母が亡くなったのは、暑い夏の日、夜が明け、日の光が見え始めた頃でした。
最期の瞬間こそ子供たちは立ち会うことはできませんでしたが、亡くなった母を見ても取り乱すことはなく、しっかりと母に手を合わせていました。
母の葬儀の前の晩、子供たちは母に手紙を書きました。
葬儀後、お坊さんや親戚方がたくさんいる中、遺影の前で読み上げた2人の姿はとても立派でした。
バァバありがとう
お母さんを生んでくれてありがとう
お母さんがいたから僕たちが生まれてきたよもうバァバに会えなくてさみしいけど、
僕たちがんばるからねバァバが天ごくへ行ってもみんなこと忘れないでね
しっかりと、しっかりと、子供たちは丁寧に読み上げました。
恥ずかしがり屋の孫だと思っていた母は驚いていたかも知れません。
私には母の遺影が目を細めて喜んでいるように見えました。
そして読み終えた後、子供たちは泣いていました。
亡くなってから初めて私の胸で泣きました。
母の死を受け止め、こうしてしっかりと悲しむことで、子供たちも祖母の死から前を向けるのかも知れません。
子供たちへの影響
子供たちは母の死を私が思っていたよりも、しっかり受け止めていました。
母の病気が分かってから1年2か月の間、母といつも通り過ごしたことで、母の変化を見ていたからかもしれません。
また、母の病状もその都度子供に話したりはしませんでしたが、私の取り乱した姿や、病院に毎日通い母のことで必死になっている姿を見れば、事の重大さは分かっていたようでした。
しばらく時が経ち、息子と
「もしドラえもんがいたら何が欲しいか」
と何気ない会話をしていると、
『タイムマシーンが欲しい。そしたらオレが幼稚園の時に戻ってバァバに病院に行くように教えてやるんだ。そうしたら、バァバ、死ななくてすんだよね』
・・・そうだね。。
私は込み上げる涙をこらえ、そう答えることが精一杯でした。
普段悲しみを言葉にすることがなくても、心の中にはこうして母が存在しているんだな。
そう思いました。
2年生になったばかりの娘にとって、バァバの死が悲しいのはもちろんですが、危篤になってから私が病院に泊まり込んでいたことが精神的に応えたようでした。
登校前の朝の支度に私がいなかったことに不安をもたらしたようです。
その後、娘と向き合い、数ヵ月後には娘も落ち着き、明るさを取り戻しました。
母の死は私たち家族でにとって大きな試練でしたが、今では母との思い出話や、もしも生きていたらという話、亡くなったときの気持ちと思いは様々ですが、こうして母の話をすることで、子供たちは母への悲しみを乗り越えていくのだと思います。
そして母はいつまでも子供たちの中に存在し、生き続けていくのです。
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