母の死。「かわいそう」といわないで…

私の母は62才で子宮頸がん宣告を受けました。

病気が発覚してから1年3か月後、入院先で静かに息を引き取りました。

それは、65才になる3週間前でした。

そんな母を亡くしてから私が多く言われた言葉があります。

「若くしてかわいそうに」

誰もが母の死を悲しんで掛けてくれていることは分かっています。
掛けてくれたその言葉に悪意を感じたわけではありません。

ですが私は、その言葉を聞くと、母の人生すべてを「かわいそう」だと言われているようで、一人、胸が苦しくなりました。

母が自分の人生をどう感じていたのかは分かりませんが、私は、子供として「母は幸せだった…」せめてそう、思いたかったのです。

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60代でうけた癌宣告

平均寿命が80才を超える現代に、64才で亡くなった母は、確かに早いのかもしれません。

同級生の友人の中で母親を亡くしているのは私だけですし、母より年上の、友人のお母さんたちは、みな今も元気に過ごしています。

思えば、母も元気なころは、いつか訪れるだろう老後を心配していました。

一人暮らしだった母は、「年金」の受給年齢を65才に延長し、老後の安心のために、一生懸命働いていました。

62才で癌が分かり死を意識した時
「まーったくなんのために働いてきたんだろう」
「お金なんてあったってなぁんにもならない。こんなことなら使っておけばよかった~」
「年金もらう前にこんなことになって本当にバカバカしいよ」
そう言って笑っていました。
仕方ないね~そう言って、私も精一杯笑いました。

それでも、癌になったとはいえ、あと5年くらいは生きるだろう…

なぜ母がそう思ったかは分かりませんが、退院後は一人暮らす家の屋根を直したり、古びた勝手口のドアを変えたり、トイレをウォシュレットにしたりと、修復に前向きでした。

ですが、癌は宣告時、すでに大腿骨に転移していたこともあって、あっという間に歩行困難となり、癌はついに肺へと転移してしまいました。

5年生存を信じた母の願いも空しく、癌宣告から1年3ヶ月後、母は息を引き取りました。

「かわいそう」という棘

母は結婚後、ギャンブル漬けの借金だらけの父と離婚し、女手一つで私たち姉弟を育ててくれました。

なんて苦労した人生なんだろうか…
今からという時に…

かわいそうに…
まだ若いのにね…

そう口にしている人もいまいた。

早すぎる…
こんなに早く死んでどうしようもない
そう悔しそうに言う人もいました。

母が亡くなってから、「かわいそう」という言葉は、チクチク棘のように私の胸に刺さっていきました。

そんな「かわいそう」の大合唱の中、たった一人だけ全否定してくれた近所のおばちゃんがいました。

「なにもかわいそうなんかんじゃない 孫の顔も見れて幸せだった。○○ちゃん(母)は幸せだったよ!」

母が静かに眠る枕元で、私の思いを代弁してくれるかのように、そう強く言ってくれたおばちゃんの言葉が、グッと心に響き、泣きそうになりました。

「かわいそう」という言葉

芸能人の訃報を耳にすると、その年齢が若ければ若いほど、「かわいそうに…」と思うことがあります。
こんな風に胸の内で語ることは誰しもあるでしょう。

それは純粋に、
まだ〇歳なのに…
まだやりたいことがあっただろうに
いろんな思いから込み上げる言葉でもあるでしょう。

私は「かわいそう」という言葉を聞くことが辛かったですが、もしかしたら同じ立場でも、その言葉に癒される方もいるかも知れません。

母が亡くなった時、一番身近にいてくれた伯母は、私の主人に

「毎日お母さんに付き添って、忙しいのに子供たちのお迎えや習い事に行ってねぇ。まったく、かわいそうのようだったよ。」

そう私のことを話しているのが聞こえました。

このとき、大変だった毎日を見ていてくれた人がいた…それだけで、ほんの少し肩の力が抜けました。
「かわいそう」と言われましたが、理解されているようで嬉しかったのです。

「かわいそう」

という言葉は、掛ける人、掛けられる人、残されたご家族や、その関係性も様々なので、一概に「言ってはいけない」と決めつけることはできません。

伯母のように、私を癒してくれることもあります。

ただ私は、今後どんな訃報に際しても、亡くなった方に対して、「かわいそうという言葉をご家族の前で口にしないでいよう…そう決めています。

励まされた言葉

母が亡くなった時、励まされたこともあります。

母親を亡くしている先輩たちから

「泣きたいときは泣いていいんだよ」
「泣かない。泣くのは葬儀が終わってから。頑張れ」

そう両極端なことを言われましたが、母を亡くした悲しみを経験されている2人の言葉は、どちらも励みになりました。

「気を落とさないで」
と、何年も連絡を取っていなかったのにもかかわらず、慌てて連絡をくれた友人の他人行儀でないメールは、ストレートに心に響きました。

もし私が逆の立場だったら、どんな言葉を掛けていいのか分からなかったと思います。

そんな中、「私の親は元気でよかった」という人もいましたが、どんな言葉も、励ましも、たわいのない会話も、友人たちの気遣って掛けてくれる想いは嬉しかったです。

母の人生は幸せだった

私の知っている母は、苦労はしたけれど、いつも周りが冷や冷やするほどの正直者で、明るくて、言いたいこと言って、ケラケラ笑って、孫にも慕われ、友人にも恵まれ、そして本当に芯が強くてかっこいい母でした。

私の知っている母は「幸せ」な母でした。

母が亡くなったとき4年生になったばかりの息子はいいました。
「たった一つ願いが叶うなら、タイムマシーンに乗って俺は年長の頃に戻るよ。
そしたらばぁばに言うんだ。
『病院に検査しに行って』って。
そしたらばぁば死なないでしょう?」

子どもたちは母のことを小さいながらに想い、自分たちのなかで「ばぁばの死」と向き合い、かみ砕きながら、必死に理解しようとしていました。

そして今でも、母にプレゼントされたものは大切にしています。

そんな孫に慕われた母はかわいそうでしょうか。

苦労ばかりの人生を送った母は哀れでしょうか。

孫に想われ、私に愛された母は幸せではないでしょうか。

母の人生がたとえ順風ではなかったとしても、
第二の人生を願う前に道を絶たれてしまったとしても、

かわいそうなんかじゃない。

母の本当の気持ちは分かりません。
ですが、残された私は、少なくとも母は幸せだった…そう思いたいのです。

「少し早かったけどさ。おばちゃん、いい人生だったと思うよ。あんたがいて、言いたいこと言えてさ。」

私の親友の言葉です。
私も母の子として、そう思いたいのです。

最後に

ご家族を亡くされた方に掛ける言葉は慎重になってしまいますよね。

やはり、「大変だったね(でしたね)」が無難な言葉なのでしょうか。
何も言葉をかけず、亡くなられた方の人柄を語ってくれることで救われた…なんて方もいました。

母が亡くなって4年経った今も、「かわいそうだったね」と言われますが、今ではその言葉も母を想うからこそだと、ありがたく受け止められるようになりました。

ただ私はいつも心の中で応えています。

「母は幸せでした」

と。

母の人生が幸せだったと思うことで、少しずつ前に進める…
そんな気がするのです。

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