お盆に亡き母を迎えることに込み上げる淋しさ

母を亡くして2年が経ちました。

お盆を迎え盆飾りこそ整えましたが、正直、母がお盆に帰ってくるとか、送り火や迎え火もあまり心に響くこともなく、儀式だからするという義務感のほうが強かったです。

そんな冷めた気持ちに少しだけ私自身が引いてしまいました。

なぜそんな気持ちになってしまったのか、自分を振り返って考えてみました。

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お盆に母を迎えるということ

私は30年前母子家庭になってから父とは会っていません。
弟が一人いますが、母亡き後、実家に戻り一人暮らしをしています。

弟は人付き合いが大の苦手で、本来は実家でするべき母の新盆もさせてもらえませんでした。

なので、ご近所さんにはお詫びをし、内内で私の自宅で執り行うことにしたのです。

お墓に母を迎えに行った時も

『実家じゃなくて私の家に帰っておいでね』

そんな風に声をかけて。

今年は新盆とは違い、お盆は私の家族だけでするのかな…そう思っていると、伯父や伯母たちが来てくれることになったのです。

思いがけず賑やかなお盆を過ごせたことで、私の気持ちも明るくなり和んだのですが、母の遺影の前で、まるで母が生きてるかのように語り掛ける伯父たちの姿を見て、

『お盆はしなきゃいけないもの』

として淡々と心なくお盆飾りをした私は、なんとも言えない気持ちになりました。

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お盆から母の死を感じたくなかった

たった一人の母を失うことが子供の頃から一番恐ろしいことでした。

それが現実になり、この世の終わりだと思ったこともありました。

それでも私はいつも母のことを思って暗くなっているわけではありません。

見た目は割とサッパリとしていると思います。

だからもし、母がお盆に帰ってきていたなら、淡々としている私を見て
『せっかく帰ってきたのに、まったくあんたは』
なんて、いつものように呆れていたかもしれません。

さすがに夕暮れの中、送り火をしたときは淋しい気持ちになりましたが、あまり浸ると悲しくなるので、淡々と送りました。

また来年ね・・・

そう心からでもなく複雑な思いで。

お盆は淋しい

こうしてみると、素っ気ない娘ですよね。

でも私は、やっと慣れた日常にお盆が来ることで、母の死を感じ、また淋しさが込み上げてくることに抵抗があるのかもしれません。

だって迎え火をしてからずっと、目が覚めると鬱々としているのですから。

お盆中、母を「いる」と感じたいけど、「送る」ときにまた淋しくなるのがイヤなのです。

早くいつもの日常に戻りたい

そんな風に思うのです。

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